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      <title>いつか行ってみたいモロッコの雑貨</title>
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      <description>モロッコにはきっと溢れんばかりの可愛い雑貨があるに違いない・・・サハラ砂漠と雑貨を追っていつかモロッコに行くことを夢見てます。</description>
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         <title>医学の変化　4</title>
         <description>血管系のからだ、神経系のからだ、筋肉系のからだ、骨格系のからだ、などなどのことです。


それらすべてのからだはたがいにつながりあっていて、どれひとつがバランスをくずしても健康は維持できません。


・・・つまり、オステオパシーがいちばん大切にしているのは、健康の基盤がさまざまな身体システム間の正しい関係の維持にあるという信念なのです。


心臓発作でわたしのところにきた患者を助けることができたのも、そういった考えが基本にあるからなのです。


問題を起こしていたのは心臓そのものではなかったのです。


また、この「助ける」ということばがキーワードになってもいます。


オステオパシー医は、からだには自然に治る力があると信じています。


わたしたちが仕事をすべてやってのけるわけではありません。


・・・わたしたちの仕事が終わったら、あとはからだ自身が仕あげをひき受けてくれるのです。


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         <pubDate>Mon, 06 Feb 2012 11:44:30 +0900</pubDate>
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         <title>医学の変化　3</title>
         <description>実際のところ、わたしの治療室にくる患者はいつの間にか、M・Dから紹介されてきた人がほとんどになっています。


いまの時代は、からだは何千何万というたがいに無関係のシステムからなると信じている西洋医学の医師があまりにも多すぎます。


かれらの仕事がモデルにしているのは建設工事です。


新築の家の垂木に沿わせる電気の配線がまちがっていることがわかったとき、大工を呼んでも直してはくれません。


・・・そんなときは電気技師を呼ばなければなりません。


アロパシー医学でも、内科医に心臓が異常だと診断されると、こんどは心臓専門医のところに行かなくてはなりません。


胃に異常があれば消化器専門医です。


しかし、専門医は患者の全身を診るわけではないから、症状のほんとうの原因を見逃すことが少なくありません。


オステオパシー医はもっとホリスティック(全体論的)な方法を好みます。


わたしたちは人間をたくさんの「からだ」が集まってできているものだと考えています。

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         <pubDate>Fri, 06 Jan 2012 11:43:49 +0900</pubDate>
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         <title>医学の変化　2</title>
         <description>20世紀の後半はオステオパシーに寛容な時代でした。


AMAからの妨害はつづいていましたが、州政府がしだいにオステオパシーを認可するようになったのです。


いまでは50州のすべてが足並みをそろえて公式にオステオパシーを認め、オステオパシー大学の数もふえて、州議会の管轄下にはいっています。


ミシガン州は1969年から70年にかけて、アメリカではじめて州政府後援のオステオパシー大学を設立し、72年にはオクラホマ州議会がオステオパシーおよび外科大学を設立しました。


・・・そのふたつを契機として、州政府の指導のもとにさらにいくつかのオステオパシー大学が誕生しました。


いまはアメリカのオステオパシー医の数も3000人にふえ、25年前の倍以上になりました。


学生たちは15校あるオステオパシー大学のいずれかで学び、ほとんどの学生が手技を選択していることをのぞけば、あとはアロパシー医学とほとんど同じカリキュラムを履修しています。


いまはもうアロパシーの勢力もオステオパシー側もたがいに平和に共存し、多くの病院でふたつの異なったシステムの医師がいっしょに仕事をしています。


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         <pubDate>Tue, 06 Dec 2011 11:43:13 +0900</pubDate>
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         <title>医学の変化</title>
         <description>20世紀の最初の20年間に、それまで基本的には合衆国政府の監督を受けていなかった医学教育がにわかに注目されはじめました。


そしてアロパシー医が最大の政治的な影響力をもつようになり、アメリカ医師会(AMA)のもとに団結していくにつれて、他の学派はたちまち力を失っていきました。


AMAがとくに敵対意識を燃やしたのは、かれらが「ニセ医学」と呼んではばからなかった最大のライバル、オステオパシーであり、そのオステオパシーつぶしの戦略はほぼ成功裏に終わっています。


AMAの数かずの戦略のうちには、第一次世界大戦で政府がオステオパシー医に軍医としての出兵を認めるなら西洋医は軍医受諾を拒否するというものがありました。


その戦略は第ニ次世界大戦でも使われましたが、皮肉なことに、連邦政府とAMAが駆け引きをしているあいだにオステオパシー医が漁夫の利を得る結果になりました。


・・・というのも、銃後に残されたオステオパシー医に患者が集まったからです。


患者たちはM・Dの留守中にオステオパシーの治療を経験し、はじめてその効果を知るにいたったのでした。


・・・とはいえ、オステオパシーはまだまだその診療を制限または禁止していたさまざまな州法と戦わなければならなかったのです。


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         <pubDate>Sun, 06 Nov 2011 11:42:23 +0900</pubDate>
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         <title>テレビ・ブームの爆発とその功罪　4</title>
         <description>ブラウン管も5%14%インチの小型から、1950年には16インチが普通となりました。


一方、放送局も新設が解除されたので、凍結時の50局から、解除後の1954年には410局に達しました。


ラジオの場合と同じように全国的にネットワークが形成され、NBC、CBS、ABCは互いにしのぎを削ります。


・・・とくに熾烈な競争が展開されたのは、当初NBCとCBSの二大ネットワークの間でした。


サーノブとペイリーの両巨頭間の衝突は、しばしば新聞のゴシップの好飼となりました。


小柄でずんぐりとしているサーノブがいかにもロシア農民風なのに対し、ペイリーのほうは貴族的でハンサムな社交界の花形でした。


しかし、ペイリーがいつもサーノブに頭が上がらないのは、サーノブがRCAというビッグ・ビジネスの会長であるのに対し、自分は水商売ともいうべき放送会社の会長にすぎないことです。


何とかこれを出し抜くには、カラーテレビの開発と、TVセットの生産に進出することでした。


しかし、いずれもRCAに対して歯が立たず、多額の出費にもかかわらず、失敗に帰しています。

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         <pubDate>Mon, 31 Oct 2011 11:19:26 +0900</pubDate>
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         <title>テレビ・ブームの爆発とその功罪　3</title>
         <description>他方、同年の生産のほうは100万台近くに達しました。


これに対し1946年には6500台、1947年には17万9000台にすぎませんでした。


テレビ放送局の開設は、当初赤字が予想されたので、三大ラジオーネットワークの庇護のもとに、むしろゆっくりとした展開となり、15都市に24局が設立されたにとどまりました。


しかも同じ1948年9月には、テレビ局の新設は、1952年7月まではFCC(連邦通信委員会)の全国規模のチャンネル調整のため凍結されました。


この間テレビ放送は全国で66主要都市に限られ、受信範囲は人口の5分の3近くに抑えられました。


しかし、大量生産とともにテレビ・セットの価格も引き下げられ、品質もよくなったので、視聴者のほうは増えつづけたのです。


TVセットの所有台数は1950年には1000万台を超え、1955年には3300万台に達しました。
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         <pubDate>Sun, 11 Sep 2011 11:18:51 +0900</pubDate>
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         <title>テレビ・ブームの爆発とその功罪　2</title>
         <description>1939年、ニューヨーク万博で大衆の前にテレビが公開され、ローズベルト大統領もテレビカメラの前に立って演説しました。


その時展示されたTV受像機の値段は625ドルで、見る人をおどろかせました。


当時の新車の値段は900ドルでした。


第二次大戦はテレビ時代の到来をおくらせることになりました。


しかし、戦後ブームは都市人口の郊外への大量移動とともに、住宅、自動車、家庭用電気製品への需要を著しく高めました。


そのなかでもTVセットへの需要は爆発的だったのです。


1948年だけをみても、年初にはTVセット保有台数は10万2000台。


しかもその3分の2はニューヨークに占められていました。


・・・しかし、同じ年の4月には、その数は2倍となりました。


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         <pubDate>Wed, 31 Aug 2011 11:17:47 +0900</pubDate>
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         <title>テレビ・ブームの爆発とその功罪</title>
         <description>テレビジョンの発明は、おそらく長い間の人類の夢であったでしょう。


その発明の過程には長い年月を要し、多くの科学者や技術者がかかわり合っています。


原理の上では19世紀後半にまで遡ります。


これに対し、テレビの開発は世界各国が競うところとなりました。


イギリスのBBCは1929年に実験放送を行いましたが、ドイツでは1936年のベルリン・オリンピックでテレビがお目見えしています。


日本でも1939年に実験放送をはじめています。


アメリカではまだ初期のラジオ・ブームの最中に、RCAのサーノブがテレビ時代の到来を予言しています。


1931年にはNBCがニューヨークのエンパイア・ステート・ビルの尖塔に実験用テレビ・アンテナを取りつけました。


同社はこれを通じて1939年に、定期放送を開始しました。

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         <pubDate>Sun, 31 Jul 2011 11:17:09 +0900</pubDate>
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         <title>再浮上した業務核都市構想　4</title>
         <description>たとえば東京都は大井のコンテナ埠頭をつくりました。


横浜は山下埠頭の外側にコンテナ埠頭を拡張しました。


しかし20年くらい前まではコンテナ埠頭をつくりながらも、古い港もそれなりに使っていました。


しかし15～6年くらい前から、港湾管理者側でも古い港をそのままにはしておけなくなりました。


倉庫も使えなくなってしまいます。


船も接岸できなくなってしまいます。


古い港湾を手直ししなければならない問題が深刻化してきました。


たまたま造船不況が20年くらい前から発生したのです。


三菱の造船所は横浜の港内から他の場所に移し、その土地は処分してもよいという話が生れてきます。


より土地の安いところに設備の良い造船所を集約してつくることのほうが、三菱重工としても望ましいことなのです。


・・・そういう造船不況と港湾機能の更新の2つの動きを結びつけて、横浜の港湾地区の再開発、すなわちMM21計画が始まりました。

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         <pubDate>Fri, 24 Jun 2011 10:26:29 +0900</pubDate>
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         <title>再浮上した業務核都市構想　3</title>
         <description>国鉄が解体したことは、貨物駅とか操車場という国鉄の遊休資産を土地市場に出して処分し、その金を国鉄が抱えている負債の一部にあてることを意味しています。


たとえば大宮でいえば、大宮の操車場は生産事業団の土地なので売らなければならないということになります。


一方で、港湾機能が20年くらい前から大きく変わってきました。


それまでは、ばら積みで原材料を運ぶことを主体にした貨物船が、横浜港や千葉港、東京港にたくさん出入りしていました。


しかし日本のニ次産業自体が高度化してくると、コンテナによる輸送が増えてきたのです。


そこでコンテナヤードをきちんとつくることが必要になってきました。


原材料の積み卸しに必要だった古い埠頭は役に立たなくなってきます。


貨物自体の内容が変わり、港の機能を単に取扱トン数だけでは議論できなくなりました。


電機製品や機械製品、食料品といった付加価値の高い貨物を受け入れたり送り出すためには、トラックが自由に走りまわれる奥行きの深いコンテナ埠頭が必要になってきます。


細長い櫛型の従来の港では貨物を取り扱えなくなってきました。


そこで新しい港をつくらなければならなくなったのです。

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         <pubDate>Wed, 04 May 2011 10:25:28 +0900</pubDate>
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         <title>再浮上した業務核都市構想　2</title>
         <description>数十年前にそれまでの首都圏整備計画が改訂されて、東京改造計画という名前でまとめられました。


そのなかでは首都機能の東京からの移転分散も議論されました。


それに関連づけて業務核都市が改めて強調されたのです。


それまでは千葉と大宮・浦和、立川・八王子と川崎・横浜の4都市が業務核都市でした。


それに新しく土浦・筑波を加えて業務核都市は5つであるとしました。


これらの核都市にオフィスを移すことで、都心のオフィスの集中問題を解き、さらに遠距離通勤問題も解決するという方策を明らかにします。


しかしこの東京改造計画が論議されていた15～6年前は、土地の値段があがる直前でした。


業務核都市といっても誰も相手にせず、そこへ、都心に過集中しているオフィスを移転すべきだと官庁側が声を大きくしても、それに対応する動きは民間の間から何もおきありませんでした。


しかしそのすぐあとに国内経済を刺激するために金融が緩み、土地の値段があがりました。


また国鉄が解体したこともあります。


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         <pubDate>Sun, 24 Apr 2011 10:24:09 +0900</pubDate>
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         <title>再浮上した業務核都市構想</title>
         <description>企業が郊外に進出して住宅地と結びつくという話は、実は役所が昔からいっていました。


国土庁は東京の都心部の過密集中問題を解決する行政的な方針として、業務核都市構想を10年くらい前から提示しています。


その構想は国が定める首都圏整備計画のなかで位置付けられています。


国土庁が行わなければならない仕事のなかに大都市圏の整備計画があります。


大都市圏というのは東京だけではなく、大阪、名古屋も入ります。


大都市圏の将来の好ましい姿を、国の計画としてつくり上げていきます。


それらの計画をそれぞれの都や県に提示して、都や県はそれを尊重して計画を立てていきます。


調整力はないけれども勧告はできます。


その計画というのは、他の建設省や運輸省などが無視できないという、それなりの一種の目に見えない法律上の拘束力をもっています。


その大都市整備計画の関東地方版が首都圏整備計画です。


そのなかに、いくつかの東京をとりまく郊外都市に都心部からのオフィスの移転を進めてゆくという、業務核都市構想がかかげられました。


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         <pubDate>Fri, 04 Mar 2011 10:23:19 +0900</pubDate>
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         <title>資本主義勝利のつけ　6</title>
         <description>果たして活路はないのでしょうか。


専門家は、多くの個人が歯止めのない個人主義の危険性を自覚しないかぎり解決はない、と語っています。


私有化、メディア化、投機化、買収によって互いに分断され、競争状態に置かれた諸個人の間に新しい質の連帯とコミュニケーションを生み出すことは不可能なのでしょうか？


しかし、このような連帯とコミュニケーションを探り出す以外に、資本主義のゆきづまりを打破する道はないとされています。


今日、経済学、政治学、社会学などの分野で、この問題提起に応えようとするさまざまな試みがなされています。


米国のラディカル・エコノミックス、フランスのレギュラシオン理論は、戦後の高度成長を支えたフォード主義的な連帯と妥協が崩壊したあと、それに代わる新たな連帯と社会的合意を模索しています。


しかし、この理論的営みは経済学の分野でコッタの問題提起に応えようとする一つの努力だということが出来ます。


日本の資本主義は、勝利したコーポラティズム的資本主義にもっとも適合した社会として日本を特徴づけています。


逆に言うと、日本資本主義は、資本主義のペシムスティックな未来像の最先端をいくものとされているのです。


これは傾聴に値する指摘でしょう。


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         <pubDate>Thu, 24 Feb 2011 10:15:41 +0900</pubDate>
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         <title>資本主義勝利のつけ　5</title>
         <description>背景には、資本主義の生誕以来、政治的権力の主要な場となってきた国民国家がみずからの権限を上流と下流に向かって譲渡しつつあるという事態が存在します。


今日、国際政治に関しては、国民国家よりもマイナーな地方的権力（自治体、住民運動）が、意思決定権の主要な場となりつつあります。


この政治の無力化と対になって進行しているのが、ナルシスティックでエゴイスティックな個人主義の蔓延です。


今日、諸個人はもはや利害の異なる社会諸集団をいかに統合して、社会的統一をうちたてるかということに関心を抱いていません。


テレビ画面でみずからの幻想的な映像とたわむれ、自己自身の身体の管理に憂き身をやつしています。


コミュニケーション・メディアの発展や社会福祉の公的・私的サービスの増大を背景にして、ナルシスティックな個人主義が人々の意識に浸透していきます。


政治家は社会福祉を最優先の政策課題とし、この個人主義に媚びを売ることしか出来ません。


イデオロギーが衰退し、貨幣が万能の力を手に入れ、社会が統合力を失って分裂していく・・・。


そこに現出するのは、暴力的な混沌状態というきわめてペシミスティックな未来像なのです。


「豊かなものと貧しきものとの闘いは続くが、この闘いを決するのはただ暴力のみである」。


・・・これがある経済専門家の言葉です。


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         <pubDate>Tue, 01 Feb 2011 10:08:27 +0900</pubDate>
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         <title>資本主義勝利のつけ　4</title>
         <description>・・・以上の4つの要因は、このように1970年代以降資本主義経済の進展を導いた要因です。


それと同時に、資本主義が今後活力を失っていくという専門家の未来予測の論拠にともなっているのです。


しかも、これらの要因がそれぞれ独立した現象なのではなく、道後に密接に絡み合っているのです。


そして、これらの4つの要因が資本主義の衰退を決定的にする第五の要因をもたらすのです。


政治が経済によって完全に食い尽くされるという事態がそれです。


経済-メディア-記入の三位一体的発展は、政治的権力の自立能力を大幅に狭め、政治が人々の日常生活を制御する能力をいちじるしく衰退させていくのです。


この政治的機能の衰退は、なによりも有権者の政治的無関心と選挙における投票棄権者の増大という事態のうちに端的に示されています。


これはかならずしも政治の領域が重要性を失ったということを意味するわけではありません。


しかし、従来のような代議制民主主義と政党政治が時代にそぐわないものとなり、政治家=代議士の権力が決定的に後退しつつあることは否めないでしょう。


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         <pubDate>Sat, 22 Jan 2011 18:48:25 +0900</pubDate>
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